音楽にみるクリエイティブ・コモンズの可能性(前編)

18日のInternet Watchの記事に「JASRAC、CCCD廃止の流れに疑問を提示」という題の記事が載っていました。


記事によるとJASRACが「違法なファイル交換には法的措置も含めた断固たる対応」「著作権保護期間を著作者の死後50年から70年に延長」「iPodにも現行著作権法のもとで私的録音補償金制度の適用を」「国内のダンス教室におけるCDの無許可利用を無くす」「JASRACでは、ウォーターマーク(電子透かし)に対するかなりの追跡能力を持った世界最先端の監視システムを完成させている」などなど、著作権を保護するための今後の措置について発表しています。「違法はファイル交換って何よ?」「70年に延長させるって誰のためよ?」「iPodは個人で音楽を楽しむための物なのに何で課金するの?」「著作権を守るといってもそこまで監視することで得するのは一体誰よ」などなど疑問は尽きません。


彼らは「現行の法律を変えてでも」このような「著作権管理を徹底するシステム」を実現したいらしく、著作物を利用するにはそれ相応の対価(利用するための金)を払うように日々啓蒙活動を行っており、JASRACの公式ページでは、著作権のある曲を使ったコンサートをするには使用許可が必要で使用料を払うようにとか、カラオケ大会を催す場合にはやはり使用許可が必要で使用料を払うようにとか、手続きに関する内容が細かく書いてあります。(使用料の計算法に関しては不透明になってますが)


私がJASRACに関してやや否定的な見方をしてしまうのは、彼らがユーザにWin-Loseの関係を強いるアプローチにあまりに固執しているように感じるためです。ただでさえ衰退している音楽業界において、このような「ユーザは犯罪者予備軍である」という観点で著作権の保護のルールを作ったところで、彼らの収入は一時的に増えるのかもしれませんが文化の発展が実現できるとは到底思えません。


断っておくと、私の立場は「著作権は守られるべきである」というものであります。確かに著作者の名誉と利益を保護するためには著作者にとって著作物が不当に利用されるのを防止する必要があるし、著作者を保護することで文化の発展というものが成立することも確かであると思っています。ただし、著作物を過度に保護し管理することのみで文化を発展させられるかというと疑問があります。既存の著作物を継承する形で新たな著作物が登場し、文化が創造されてゆくものだと私は考えているためです。


著作者の著作権を保護することと、著作物をユーザが自由に取り扱うことが出来ること。この2つの相反する考えを完全に統合することは不可能であり、答えは無いといっていいでしょう。ただ、近年注目されている「クリエイティブ・コモンズ」と呼ばれるアイディアがこの解決の助力になるのではないかと私は考えています。

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