これからの Webは「映像+音楽→時間軸」がカギとなるのか?

Macromediaの記事で、RIA(Rich Internet Applications)に関する実験プロジェクトの話がありました。RIAというのは、現在のHTMLのようなテキストと画像の表現だけではなく、映像や音楽やアニメーションを扱うことが出来るリッチなクライアント(要するにここではFlash)を利用したWebアプリケーションのことを指します。記事によると、それらを駆使することでユーザのサイト滞在時間を延ばすことが可能になり、そこで扱われる商品を「体感」出来るようになるという話です。


しかし、そのRIAとして紹介されていた「KCO - globe KEIKO SOLO PROJECT - 」や「Life with DVD」を実際見てみると、かなりの問題点があることが分かります。突然音楽が鳴り始める。突然ムービーが始まる。視覚効果が派手で、見ていると疲れる。どこをクリックして良いか分からない。画面を最大化するため、PCの画面を有効に使えない。操作のアンドゥが出来ない。


特に、前者のサイトはオープニングでもはや限界を感じてしまいました:P。辛くて1分も見れませんでした。


これらがどうして私に不快な印象を与えるのか。
その根本的な理由はきっと発信者のエゴが強烈にサイトに現れているからだと思います。


ユーザが情報を自由に選択し加工し表現できるというのが、現在のインターネットで培われている文化の大きな特徴だと思います。つまり、主体がユーザにあることが前提なわけです。しかし、上記の例ではコンテンツデザイナーがユーザに「どう見せるか」を強いています。意図的にユーザから時間軸や自由度を奪っているとも言えます。このサイトを見ている間、テレビのような放送コンテンツの作成者にありがちな傲慢な論理をそのままWebで見ているような感覚をおぼえました。HTMLのレイアウトやナビゲーションがひどかったとしてもまだ耐えられますが、音声や動画を使ったサイトで不愉快な感覚を覚えるとHTMLよりも遥かにstressfulです。


私は動画や音声やアニメーションをRIAに利用することには賛成です。しかし、動画や音声やアニメーションを使用したからといってRIAにはなりません。その違いは何かというと私も明確には答えられないのですが、「ユーザ中心デザイン(UCD)」であることがひとつの鍵になると思います。ユーザに制御の主導権を与え、ユーザが意図していない挙動をとることを避ける、といった基本的な部分をなんとかしないと、サービスのユーザビリティ以前の問題だと思うからです。サイトがアート(鑑賞物)であることを主眼としているなら上記のようなものでも良いのですが、サイトがサービスを想定しているのであれば上記のようなアプローチでは「何回も」「長時間でも」訪れたいというユーザを確保することは出来ないでしょう。


HTML黎明期にひどいデザインのサイトが散見されたように、現在はRIA黎明期でありまだまだ試行錯誤が必要な時期なのだとは思います。HTMLデザインに様々な暗黙的なガイドラインがあるように、今後はRIAのためのガイドラインが必要なのではないでしょうか。


最後に、もっとよくない例を。これはやりすぎじゃろ。もはやどこからつっこんでいいか分かりません。