死ぬまでにやりたい「100のリスト」



pingooさん「一年の計を立てる計を考える」という記事を読んで、年次計画を立てるコトの意味を改めて考えさせられました。年次計画をいかに設計すべきか、ということに関してはpingooさんの記事がとても参考になるのでそちらを参照して下さい。今回、私のほうではもっと長期的なスパンで見た「ライフデザイン」に関するコラムを紹介したいと思います。


先月発売されたプレジデントにて「スケジュール管理」に関する特集がなされており、その中に『死ぬまでにやりたい「100のリスト」』という題の、ロバート・ハリス氏のインタビュー記事がありました。人生でやりたいことを「100のリスト」にして、それを使って人生を楽しんでみる、という内容です。


ロバート氏が、人生でやりたいことを「100のリスト」にしてみるというアイディアに出会ったのは19歳の時。高校卒業後の旅先で見つけた雑誌に、とあるアメリカ人冒険者が作った「一生のうちにやりとげたい100の冒険」のリストに関する記事に衝撃を受け、その後自分の「100のリスト」を夢中で作ったとのことです。


できたリストを読み返してみると「ファッションモデルとつきあう」「イルカと泳ぐ」といった他愛のないものから、「自伝を書く」「ブックショップをひらく」「映画を制作する」など、実現に時間を要するもの、あるいは「アヘン窟で1夜を過ごす」「ギャンブルでメシを食う」などまるで社会性のないものまで、何でもありだった。旅に関する項目も多い。しかも、「モロッコポール・ボウルズの短編を読む」とか「エベレストを間近に拝む」とか、かなり具体的な内容だ。


ちなみに、ここで挙げたすべての項目はすでに実現しているとのこと:P

それからロバート氏は、大学卒業後に東南アジアを放浪、バリ島を経てオーストラリアに渡り、シドニーで書店&画廊を経営。その後、香港でテレビや映画の制作スタッフになり、現在はラジオ番組のナビゲータなどを行うなど、まさにリストに書いたような「放浪人生」を歩んでいるそうです。「人生の100のリスト」という「100のリスト」に関する本も書いているみたいですね。


リストを作った当時のぼくは、無軌道で、理論立ててものを考えられない人間だった。やりたいことはたくさんある。でも、やりたいことははっきりしない。「100のリスト」を作ることで、自分の強さや弱さ、そして可能性など、高校生活では見ることが出来なかった己の「根っこ」の部分と遭遇できたように思う。100の項目を埋めながら、ぼくは自分を見つめる作業をしていた。


というわけで、私もこの記事を読んだ後、自分の100のリストを作ってみました:)。しかし、100個挙げるというのはなかなか大変な作業ですね。10個や20個ならば簡単なのですが、60個目あたりからだんだん自分の本能的な願望が現れてくる感じです。自分と対峙する感覚ですね。自分が書いたことに対して「本当に自分の本心なのかな?」と思い巡らせ、取捨選択をしているうちに、自分の中の「こうありたいというイメージ」が研ぎすまされてゆく感じがしてきます。


実際にリスト作りを始めると、漠然とした夢が具体的になっていく。多分10や20の項目はすぐに出てくるだろうが、これが60、70を超えると苦しくなってくる。僕も最初は「作家になる」とか「世界を放浪する」のような大まかな夢から書いていったが、それだと100までたどりつかない。ならばとイマジネーションを働かせて「旅人を主人公にした小説を書く」「私立探偵を主人公にした、ハードボイルド小説を書く」「アトラス山脈を車で超える」「イグアスの滝に打たれる」と、それぞれの項目を拡散させていった。そうするとやってみたいことが具体的になり、それを達成している自分が生き生きと想像できるようになる。


と、まさにそんな感じ。

ロバート氏によると、リストに書いてあることだからといって無理をしてやらなくてもよく、自分の作ったルールに縛られないで、ゲームとして遊ぶくらいの余裕をもって取り組んだほうが良いそうです。現にこの人も、リストのことを忘れていた時期も多いそうですし。ですが、無意識のうちにこのリストが「人生のスパイス」になっていたとも彼は述べています。


私はこのリストを作成する本質的な意義は、自分の本心を知り、自分の欲望や探究心を正直に見つめることにあるのだと思います。「死ぬまでにやりたいこと」を「100個」挙げてみることで、今後自分をどうスキルアップさせてゆくかという戦略が立てやすくなるかもしれません。「1年の計は元旦にあり」といいますが、「一生の計」を考えてみるのもなかなか良いかもしれません:P